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2009.10.31 (Sat)

ぐれ、岩塚製菓の黒豆せんべいを買う。

さて、過日行われた新潟市ビッグスワンでのイベント渡御の
動画をUPしました。



22:09  |  未分類  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2009.10.30 (Fri)

ぐれ、マスクをつける。

もうあれほどヨメさんと口が酸っぱくなるくらい
「帰ってきたら、うがい!手洗い!」と言ってたのに
やったふりしてやってねぇから…!

倅、今年2回目の
インフルエンザでございます。


伊達に口やかましく言ってるんじゃねぇぞ。
親は自分の失敗を子供に繰り返させたくないから
言ってんだよ。たまにゃ素直に聞けや!
昨晩は夜遅くなってから熱が出始め、今朝ヨメさんと近くの
医院へ。そしてインフルエンザと診断され、おなじみの
「リレンザ」をもらって来た。熱は下がり始めたが食欲は
あるのである。熱があってツラいってのに、「日本昔ばなし」に
出てくるような山盛りのご飯を食えるって、エラいんだか
何なんだか…。

ちなみにヨメさんは外回りの仕事で、家族の誰か一人でも
インフルエンザになったら出勤停止。感染拡大防止のためらしいが
そこまでする必要あんの?本人がインフルエンザでねつが
下がったからって翌日から出社するのは、もってのほか
であるが、そこまでする必要ねぇと思うけどなぁ。
変に混乱を煽るだけのような気がするんですけど。

倅の学校は今日から3日まで休校となった。
在籍数の1割罹患で「学級閉鎖」となるらしい。
倅のクラスは25人だから、3人以上は罹患していて
それが、全学年という事になる。先生方も大変だろう。
まさか自分がインフルエンザになるわけにいかねぇし。
私の仕事先でもマスク姿のひとが多くなった。
もっともマスクったって、仕事柄「防塵マスク」の方が
多いのだが、普通のマスクつけてる人って
ひょっとして「予備軍」って事???
19:30  |  未分類  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)

2009.10.26 (Mon)

ぐれ、楽しすぎて写真を撮るのを忘れる。

写真は撮らなかったけど、ビデオは撮ってました。
だって、こんなイベントそうそう無いし。

と言うわけで昨日は新潟の東北電力ビッグスワンスタジアムで
行われた、「天皇陛下御即位20周年奉祝イベント」の
「お祝いパレード」という「アトラクション」の中で今年最後の
神輿に肩を入れてきた。
風は強く、寒かったけれど、雲ひとつ無い快晴の中で
気持ちよく(←これ大事)担ぐ事が出来た。
時間にして1時間、距離にしてたった400mの渡御だったが
いろ〜んな「お遊び」をぎゅ〜〜っと詰め込んだ本当に
楽しい渡御だった。わかるか?バカ会長。

神輿の大小だの軽重だの
そんなんカンケーねぇんだよ!

帰ぇりたきゃ勝手に帰ぇれ。

もうぜってー声掛けない。金なんか自腹切ったって
担ぎに行くし、それだけの価値があるもん。
いつもここで書いてるけど、神輿を担ぐ理由で
楽しい♪って他に理由要る?

あ〜ちょっとスッキリ♪それはさておき…。

終了後、直会は新潟市の三社會さんのご好意で三社神社の
参集殿で行われたが…三社は「さんじゃ」ではなく「さんしゃ」
と読むのだそうで。境内の入り口で出迎えてくれた三社會さんの
大神輿が余りに立派で見とれてしまったのだが、それよりも
その駒札に書かれていた「流作場」という文字に「?」と思い
マイミクのオイサ♪さんにお伺いしたところ、この辺りは昔から
新潟港に着いた船から材木を降ろし、その材木を筏にして
栗の木川(今は栗の木バイパス)沿いや市内の堀を
通って各製材所に運ぶ、いわば「木場」だった事が由来して
この地区を総称して「流作場(りゅうさくば)」と言うのだそうだ。

今まで新潟市って旦那様だけの土地柄とばかり思い込んで
いたのだが、木場職人の地域があったなんて知らなかったし
なんて威勢のいい響きで、良い意味で「古風」な呼び名なんだろう。
と、ちょっと新潟市を見る目が変わった。

そうそう。この三社會の若い衆の皆さん、見た目はやんちゃそう
なのだが、参集殿にお邪魔したときも、お付き合いの無い
長岡の田舎モノの我々にも「お疲れ様でした!」と挨拶して
くれました。な〜んか嬉しかった♪気持ちよく直会楽しませて
頂きました。ありがとうございます。

あ、ビデオは編集したら「よーつべ」にUPするよ〜。
23:08  |  未分類  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)

2009.10.23 (Fri)

ぐれ、涙する。

以前、話題になった「とき325号」のお話。
BGMになっているKOKIAさんの「ありがとう」が更に涙腺を
緩ましてくれます。
この事故を知ったのは、地震当日ですが実際に現場を
見たときには唖然としたものです。
今日で5年。こうしてこの時間PCに向かっている時間は
ちょうど波状攻撃のような震度5超えの余震に
なすすべもなく、会社の駐車場で「いつ帰れるんだろう。」
と不安を抱いていました。

もうこんな災害に遭うことは無いと願っていますが
2度あることは3度あるものです。
そして1度も無い、絶対無いというのも無いでしょう。
万が一の備えをお願いしつつ、動画をごらん頂くとしましょ。
20:00  |  未分類  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)

2009.10.23 (Fri)

ぐれの長い一日

以下は以前HP「長岡くらげ」で2005年以降、毎年掲載していたものです。
今年も掲載します。「備え」を忘れないために。
長いですがお付き合い下さい。
*******************************
10月23日、その日、私は会社@小千谷市で勤務中でした…。

9:00〜15:00頃 いつものように出勤。朝、震度1の地震が
発生していた為、その被害状況 調査、報告書作成。
他は通常業務。

15:00頃 同僚と工作室でロボット用ケーブルの補修作業。
半田付けが思うようにいかず手間取る。

17:00頃 補修作業終了。事務所に戻り、メールチェック。
(実は私用でネットしてました!)

17:30頃 ぐれ、腹が減りだす。
同僚に「腹ヘリこぷたぁ〜♪」などと言いつつ和 む。

17:55 休憩時間を告げると思われるチャイムが鳴る。
しかし、夕食は18:00から。
「変な時間に鳴るなぁ。昨日も鳴ってたよね。」と同僚と話をした
その直後…

17:56 いきなり「ドンッ!」と突き上げられた直後、猛烈な横揺れ。
というか縦横のミックス揺れ。
同僚と顔を 見合わせ、机の下に身を隠す。
しかし、机も強烈に揺らされて役に立たず。
ぐれ:「おぇ、なんだいや〜っ!」
(おい、なんなんだ〜っ!)
同僚:「ぐれさん、へぇ、どうにもならんてぇ〜」
(ぐれさん、もうどうにもならないよ〜)

事務所の照明(蛍光灯)が非常灯に切り替わる。
火災報知器の非常ベルが鳴動する。
地震発生とガスの漏洩を告げる警報システムのアラームが鳴動する。
上ずった声で非常放送が館内に流れる。
「只今、地震が発生しました!全員屋外に避難して下さい!!」


18:00頃 行動を共にする為、同じフロアの技術課に行く。
1回目の余震が来たので、机の下に避難。収まったのを
見計らってヘルメットをかぶり非常階段へ急ぐ。
廊下、階段とも天井は落ちかけ、壁にひび。
防火扉は閉まっていた。

18:10頃 屋外に脱出。空き地に避難した所で2回目の余震が来る。
勤務先は鉄筋の4階建て、4棟あるうちの2棟が渡り廊下で
つながっているが、この余震の際その鉄筋の渡り廊下が激しく
揺すられているのを目撃し、恐怖を覚える。ところどころで
ガラスの割れる音。
周囲は停電で真っ暗。声を掛け合い、部署毎で点呼。
この間も波状攻撃のように余震が襲う。
真っ暗な町中に緊急車両のサイレンがけたたましく鳴り響く。

19:00頃 その日、会議で何人か会社に残っていた
管理職が指揮をとり、指示を出す。

安全が確認できるまで、勝手に帰宅しない事。
(って明日の朝までか?と思った。)
各自、自分の車で暖を取る事。(クリーンルームにいた社員は
Tシャツとクリーンスーツだけ。さすがに寒い)
建物や照明灯には近寄らない事。

社員の一人が「早く帰宅させて下さい!家族が心配なんですけど!」
「心配なのは皆、同じです。団体行動をお願いします!」と一喝される。
30過ぎて…空気読めや。
とりあえず一旦解散となる。

とりあえず、携帯でヨメさんと連絡を取ろうとするがつながらず。
連続リダイヤルで何回かかけた後、奇跡的につながる。
しかし出たのは母。腰が抜けてるらしく話すのもやっと。
ヨメと倅が出かけたまま帰って来て無い。
と告げられたのは、ショック。しかし、そんな事は言えない。
待っていてもしょうがないし、危ないから近所の人達と
一緒に避難所に行くよう促し、後でまた連絡すると言い
ひとまず電話を切る。
上空に数機のヘリコプターを確認。

(後日記)
その電話の後、近所のお母さんがショックと緊張の為か
異常に寒さを訴えたので見かねた母は
余震の合間を縫って、2階に「どてら」を取りに行った。

〜20:00頃 波状攻撃の余震。もう、どうしようも無いと同僚達と
タバコを一服。指と手の震えが止まらない。
周辺の状況を確認しようにも、停電で真っ暗。会社は
工業団地内にあるが、周囲の会社も社員が屋外に避難。
また、民家の石垣が崩れ、周辺道路も渋滞。
また遠くに立ち上る煙も見えた。(後の帰宅時に火災では無い事を
確認)それを見た後輩が「あぁあ〜燃えてる!燃えてる〜!」
と興奮してたので、「うるせぇ!」と一喝。
とりあえず、私の車で暖をとる事にした。ラジオをつけたが
断片的にしか情報が入ってこない。
携帯もネットへはつながらなかった。

クリーンルームにいた連中から、避難時にドアが開かなかったので
体当たりしてドアを開け、やっと避難して来たという話を聞く。背筋が凍る。

(後日記)
クリーンルームにいた社員は当然クリーンスーツで避難したが
クリーンスーツの下はTシャツの人が多く、加えてこの状況なので
寒さが堪えたという。

20:30頃 他の部署の連中の所に行き、カーナビのTVを見させてもらう。
…やはりただ事で無かった。
長岡在住の元上司が出社して来たので、R17の状況を確認。
通れるが陥没・隆起が激しいとの事。
また、長岡東バイパスは通れないが、旧国道経由で
長岡市街には入れるとの事。

再度携帯がつながる。(間をおいてリダイヤルはしていた)
ヨメが出て、避難所で合流し、無事との事。
何時に帰れるかわからない。母がかなり動揺しているので頼む。
倅に落ち着いて動くよう伝える。
家族の無事が確認できたので、誰かに連絡をとってBBSに
書き込んでもらう事を思いつく。
かずよんさん、さいさんに電話するがつながらず。

21:00頃 小千谷市内の徒歩で帰れる社員の帰宅許可が出る。
小出、川口方面、和南津トンネル内崩落で通行止め(ため息多数)
により待機。長岡方面、R17の状況確認により待機。

21:30頃 長岡方面、帰宅許可出る。
携帯にハンズフリーをつけて一路、長岡へ向かう。
小千谷大橋は既に通行止めがかかり、至る所で警察が警戒していた。
R17小千谷バイパスは変形・陥没が激しく、20kmくらいでしか走れない。
また、街灯も消えているので暗すぎてスピードが出せない。
隆起や陥没している場所にタイヤがはまろうものなら
まずアウトだ。慎重に走る。
越の大橋に差しかかる。まさか、すぐそばの妙見であんな事に
なっていようとは…。
かずよんさんと電話がつながったのも、この時間帯と思う。
無事を伝え、BBSへの書き込みを お願いした。

22:00頃〜 越の大橋を渡り、R17と旧国道は小千谷市内ほど
隆起・陥没は多くなく(無かったわけでは無い)意外とスムーズに
市街地へ入る。ヨメさんが実家と連絡が取れないと言っていたのを
思い出し、ついでに寄って無事を確認。
長岡駅前の大手通りは全然、影響無く驚く。線路を渡り
悠久山通りに向かう。学校町あたりは停電してはいたものの
道路も普通に近かった。しかし、東バイパスの中沢ICから悠久山方面は
真っ暗闇、しかも電柱や建物も傾斜している。

途中、飛び出して来た人を危うく轢きそうになる。暗くて周囲の
状況がわからない。気持ちを抑えて、ゆっくり走る。

(後日記)
ヨメさんの実家では義弟の車の中に避難。一晩車中で夜を明かした。

22:30頃 まず自宅に到着。外見上被害が無いのを確認。
余震が来ないうちに玄関を開けて、玄関にあった消防団の
耐火服とヘルメット、安全靴を出す。
お向かいさんがまだいたので、懐中電灯を借りて玄関に
一番近い部屋から毛布や使えそうな布団、防寒具ありったけを
引っ張りだす。車に積み込み避難所へ向かう。
町内の道路の陥没・隆起はひどかった。

(後日記)
灯油タンク(99リッター)が転倒。しかし、損傷はしていなかったので
灯油の流出は無し。ブロック塀は控え壁がしっかり作ってあり
中の鉄筋も一番上まで施工してあったおかげで倒壊は免れた。
近所では石積みの塀が倒壊している家もあった。

22:40頃 避難所着。栖吉中学校が避難所になっているが
隣の栖吉小学校のグランドに車をとめ、中学校へ向かう。

やっと家族と合流。中学校はもう満員になっているので
小学校の体育館に向かう。小学校は発電機で電気を
送っているため、暗いがしょうがない。場所を確保する。
ヨメさんと倅は長岡駅近くの勤め先で地震にあったらしい。
とりあえず車は勤め先において、歩いて帰ってきたという。
帰り道、コンビニがまだ開いていたので、できる限りのおにぎりを
買ってきたという。さすがヨメさん!
家族でそのおにぎりを食べ、自分は消防団の詰め所へ出かけた。

(後日記)
実は中学校は指定の避難所では無かったようだ。
中学校と小学校では送電の回線が違うらしく、中学校と
その周辺は電気が来ていた。その為、自然と中学校に人が
集まったらしい。小学校は停電した為発電機(おそらく町内の
どなたかが提供)で送電し、本部席の蛍光灯1本とTVの電源を賄っていた。

23:00頃 消防団と合流。とりあえず毛布とシートの配布。
まずここで…なんて言うんだろう、「人のいやしさ」を早々と
感じてしまう。「数が無くて申し訳ありません。お年寄りのいるところ
優先で、1家族1枚でお願いします。」と断っているのに…。
数が無いのは消防団が悪いわけじゃないぞ!

23:30頃 町内の班長さんが「あたりがガスくさいので
見てきて欲しい。」との依頼があり、何人かで急行する。
確かに臭う。裂けた地面から「しゅー」という音が聞こえた。
ガスメーターより1次側なのでどうする事もできず、その通りを
通行止めにする。現場近くの公園にも車内で夜を明かす人たちがいた。
詰め所に帰る道すがら、プロパンボンベの元栓を締めて回る。
意外とボンベの転倒は少ない。
それにしても、真っ暗で、物音ひとつしない街がこんなに怖いとは
思わなかった。
空を見上げると、サーチライトを照らしながら飛び交うヘリコプター。
満天の星空。

〜25:00頃 警戒のため積載車で巡回。その後待機。
待機の間、家族の様子を見に一旦避難所へ行く。やはり不安で
母もヨメも寝ていなかった。倅はぐっすり。不安かもしれないが
長丁場になりそうだからとりあえず休むよう言い、詰め所に戻る。

27:00頃 方面隊長より明日(というより今朝)7:00集合、本日は
解散との指示で解散。避難所に戻る。
長い1日が終わった。

おまけ
翌朝 5:00頃の余震に起こされる。
朝刊が避難所に配達されたのは驚き。
不思議と眠くはなかった。TVのニュースに見入る。

※記憶があいまいなため、必ずしも正確な時系列とはなっておりません。
※’05.10.16一部加筆修正。
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2009.10.22 (Thu)

ぐれ、頭を抱える。

む〜ん、予想をするほどの事でもなかったのだが
オンラインショップ3件のアクセス数が伸びないどころか
落ち込んできやがって、どーしよーかなぁと…。
「ページランクの高いサイトと相互リンク」だの
「より多くの検索エンジンに登録を」だのと世間では
言われているけど、相互リンクにしたって、登録にしたって
どんだけやりゃあいいんだよって感じで。
「バカの一念」ってヤツで相互リンクだの登録(登録ったって
結局、その登録するサイトとの相互リンクは必要なわけで)
だけ、沢山やってたら、オンラインショップなのかリンク集なのか
わかんねぇじゃん。

それでも信じてやるしかねぇのかなぁ。
そういや儲けるって字は「信じる者」って書くもんなぁ。
防水家電も新商品や商品の改廃があって、サイトの手入れが
必要なのだが、日曜日は新潟でイベント神輿だし、土曜日は
さっき電話が入って「消防団震災5周年記念 あの晩を思い出して
まぁ飲もうねか」飲み会になったし、こりゃ明日は徹夜かな。
そういや5年前の10/23も、なかば徹夜だったようなもんで。
23:10  |  未分類  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2009.10.18 (Sun)

自主防災会のあり方

今日は朝から町内の防災訓練があった。
内容は公園の防災倉庫にあるレスキューキットや備品の
確認、発電機などの使い方、消防署職員を講師にAEDの
使い方や心配蘇生法の講習、消火器の使い方、そして
アルファ米を使った炊き出しの実習などであった。
1018.jpg

どの項目も大事な事である。が、自主防災会や町内会が
災害時にまずやらなければならない事が欠けている。
それは町内の住民の安否確認である。
そんなのできっこないよと思われる方もいるかもしれない。
けれど5年前の中越地震の際、全村避難となった山古志村は
約2200人いた村民全員の安否確認を実際に完遂している。
やってできない事ではない。

コミニティの最小単位は「町内会」、都会であれば住んでいる
マンションの自主管理組合とかなのだろう。田舎者ゆえ
よくわからないが、都会で発生する大規模災害で心配なのは
コミニティがきちんと確立されているか、その一点である。
私の住む町内は出来て30年ちょっと。まだ若い町内会
である。正直えらそうな事書いている私でさえ、町内に一人暮らし
の年配者や要介護者が何人いるかはわからない。
個人情報だかなんだか知らないが、そこまで立ち入る事に
どうも躊躇する風潮なのではないのだろうか。

でも、それでいいの?
自分で動けない人の家が倒壊して、その人が死んじゃったら
個人情報だからって方便は通用するの?

私はそう思うのである。
どこの誰が、いざって時に助けが必要で、その家に近い人は
誰と誰だから、もし何かあったら確認が必要ですよ。
っていうのは、災害が起こった時のあの混乱の中で
できる事ではない。炊き出しや心配蘇生法なんて「その後」
の話だろう。

私が心配している事がある。あの地震以来、市内では自主防災会
が急速に増加した。各自主防災会が日頃、どのような取り組み
をしているかはわからないのだが、例えば再度、あのような
大きな災害に襲われて、自主防災会が上手く機能しなかった時
「結局、自主防災会なんて作っても無駄だった。」
と自主防災会が減ってゆく事である。それは避けなければ
ならない。それには我々消防団や消防署が協力して
自主防災会に新たなソフトを提供しなければならないのだが・・・。

23:41  |  防災・防火  |  トラックバック(0)  |  コメント(3)

2009.10.18 (Sun)

ぐれ、「ぐりとぐら」を読む。

そうなんです。あの名作「ぐりとぐら」の中に出てくる森の中で
見つけた巨大タマゴで作った、巨大カステラが四十路を
過ぎた今でも「ああ食べたいナ」と思うのである。
それは「はじめ人間ギャートルズ」に出てきた「マンモーの肉」
に匹敵するぐらいの…それはさておき。

朝から青空の広がるいい天気で、どこかに出かけたいのは
山々だったが、とりあえずモミダッシュのサイトの新製品追加
作業をやっつける。午後からは恒例の月参りに蒼柴神社へ
出かける。ちょうど一組のカップルの結婚式の真っ最中だった
ので、悠久山公園を散策する。桜の木の紅葉も始まり
小春日和に誘われた家族やグループがBBQを楽しんだり
お弁当を広げていた。

これだから悠久山公園が大好きなのだ。

蒼柴神社で参拝を済ませ、図書館に向かう。
FMながおかやNCTでおなじみの稲川明雄先生著
「新潟県人物小伝〜山本五十六」と石川拓治氏著
「国会議員村長〜私、山古志から来た長島です。」
を新たに借りる。帰宅してから長島さんの本を読む。
当時、山古志村長だった長島さんの全村避難の
決断から復興まで、私の想像を絶したご苦労が綴られていた。
重大な決断をしなければならない時ってそうそう人生の中で
訪れる事は無いだろうが、『その時』には相当の覚悟を
しなければいけない。当然のことなのだが、この覚悟の
一語の中に詰め込まれている心情のなんと多い事だろう。
そう思った一冊だった。
00:55  |  未分類  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2009.10.14 (Wed)

ぐれ、へそくりを始める。

だからタイトルと本文は関係ないからね。
へそくりなんかしてぇよ。それすらできねぇ月収…それはさておき。

今年の10月は「防災特集」と勝手に自分で決めて
地震保険や被災時の支援助成金について調べたりして
書いてみた。これが皆さんの食いつきがわりー事。
でも、支援助成金なんて本当に来ないし
被災状況の判定がこれまた時間も手間掛かるし。
是非この機会にご一考頂きたい。
地震保険でしかカバーできない部分もあるというのも
ポイントだろう。

それにしてもあの日からもう5年とは早いものである。
あの晩の出来事は今でも鮮明に覚えているし
それは他県で同じような災害にあわれている方々も
同じだろう。そしてもうこんな大地震2度と遭うことも
ねぇだろうとタカをくくっていたら2年後に中越沖地震である。
えっ?あん時は茅ヶ崎浜降祭だったでしょ?
そーです。だけど、家族と離れている時に家族が被災したら
というシチェーションを体験できたのである。これも家族が
無事だったから、ヘラヘラとこんな事書いているが
家が全壊、家族も全滅だったら、私の人生は確実に変わって
いる。変わらなきゃバカである。

台風は事前の準備が不十分かもしれないが、可能である。
地震は予告も無し、お構い無しにやってくる。
5年経ってもその事は忘れちゃいけないと思うのである。

22:44  |  未分類  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)

2009.10.14 (Wed)

地震保険について再考

前回は地震保険について、ごちゃっと書いたが、あの後
よくよく考えてみた。
すべての人が本当に地震保険が必要なのだろうか?
例えば、私のように家のローンがあと20年近く残っていて
築十年でもそこそこの値段が付いている場合は絶対必要だろう。
20年分のローンは自宅が全壊になろうとも残る。いつぞやも
書いたが、二重のローンを背負い込んでしまうという状況は
避けなければならない。

じゃローンもとっくに終わっていて、築40年くらいで値段も
付くか付かないかわからないような家に地震保険は必要
だろうか?これは世帯主の年齢や所得(収入ではなく)による
のではないか。だって年金暮らししている一人暮らしの人に
地震保険に入れと言っても無理だろう。と言うのは極端な
例かもしれないが、他に頼る当てがあるのなら「無理に」という
ことも無いのではないか?

では別の視点で考える。
宅地の地盤の問題である。前回いくら免震・耐震の
住宅でも、地盤が悪くて地すべり、地割れで全壊になってしまっては
元も子もないと書いた。まして既存の住宅では計測のしようも無い。
住宅地の分譲広告などを見ていると、地盤に関する記述は皆無
だろう。したがって選びようも無いのが現実なのではないか?
ただし、以前その土地が田んぼだったのか、それとも埋め立てて
造成したのか、山や崖を切り崩したその残土を盛土して造成
したのか、は確認・調査しておくべきである。そしてそれらに
当てはまるなら、地震保険に入っておくべきである。
海岸、河川敷近くで砂地の土壌の宅地も液状化が起こりやすい
ので、注意は必要だろう。造成後30年経っているからなどと
言うのは全く当てにはならない。

前回も書いたが、防災にはコストがかかるものなのである。
現状と将来を良く見極めて、必要ならファイナンシャル
プランナーに相談してみるのもいいだろう。
22:19  |  防災・防火  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2009.10.11 (Sun)

地震保険…について

先日、支援助成金は年収による制限や、使途にも制限があると
記述した。つまりアテにゃならんから、自助努力が必要であるとも
記述したが、自助努力としての「地震保険」の話である。

この地震保険、単体での契約は出来ず、住宅火災保険や
住宅総合保険とセットでの契約となる。そして建物だけでなく
家財にも保険をかけられるのである。気になる保障金額だが
建物は火災保険金額の30〜50%の範囲内で合算5000万円が
限度、家財は合算で1000万円までとなっている。
ただ、これは当然受けた被害によって変わるわけで、民間の損保だと
全壊で100%、半壊で50%、一部損壊で5%となっているようである。

さらに「実損払い」、つまり実際の損害額の支払いなので生命保険の
死亡保険金のように定額が支払われることが無いのも注意しなければ
ならない。ならば、複数の保険に加入すればとも思うが、結局
そのものの価値の損害分しか保険金は出ない。例えば築10年
で現在価値が1500万円しかない建物に3000万円ずつ3社に
合計9000万円の契約をしても、結局、保険金は1500万円
しか来ないのである。つまり無駄な保険金を払い続ける事になる。

それじゃ足りないと言われるかも知れないが、被災時点での価値
判断なのだから合理だろう。5年前の地震の際も保険をかけてたって
結局ちょっとしか戻ってこない。という人が多かったと聞く。
でも、何も無いよりはよっぽど良いはずである。
まして全壊した場合なら尚更である。

そしてよく言われている話だが、地震で発生した火災で
家が全焼した場合の保障は「火災保険」では支払われない。
地震保険に加入していないとダメなのである。
阪神・淡路大震災の教訓で現在のガスメーターは震度4以上の
揺れを感知すると、ガスを遮断する構造になっている。だから
5年前の地震でも大きな延焼火災は無かったのだが
それでも100%無くなったわけではない。地震時のもらい火を
受けた時のことを考えても地震保険には加入しておくべきである。

前述の国の支援助成金が支給されないケースが大多数と言うこと
を考えると、地震保険はマストアイテムであると思う。免震・耐震
構造の住宅を建てても、建てた土地ごと地すべりで持っていかれ
たり、火災が延焼してきて全焼してきたりという事は想定すべきである。

起きもしないことにそんなに金を注ぎ込めるかという方も
おられよう。しかし、保険にしたって、行政側の援助にしたって
防災にはコストがかかるのである。
もはや「安全と空気はタダ」という考えはいけない。
保険各社、JAから様々な保険商品が出ている。大きな災害
で泣きを見る前に、各社の商品を検討されることをお勧めする。

***参考文献***
落合美恵子 著
「中越地震に学ぶ防災自助努力」
文芸社
21:46  |  防災・防火  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2009.10.11 (Sun)

ぐれ、腹が出る。

午前中は冷たい雨が時折ぱらついたり、日が差したりと
めまぐるしい天候だったが、お昼過ぎからはようやく「台風一過」
の秋空が広がる。でもやはり寒い。

午前中は新しいサイトの相互リンク作業。午後からはヨメさんと
倅は買い物へ。私は一人山古志へドライブへ出かける。
ここ2、3日寒い日が続き、山の紅葉を期待して行ったのだが
まだ早かったようである。連休中日と山古志の闘牛(角突き)
やDPプールでトキメキ新潟大会(全国障害者スポーツ大会)
が開催されていることもあってか、県外ナンバーの車も多かった。
道端に車を停めては、棚田の風景にシャッターを押したり
「きれいだねぇ。」と言っていたかどうかはわからないが
山古志の風景を眺めている人も多かった。のだが…

道幅狭いんで、停めるトコ考えてネ。

なんで、せっかくだからちょっと歩いてみようかって考えない
んだろう。非常にもったいない話で、私なんか絶対山古志支所の
駐車場に楽々車を停めて、歩きながら風景を楽しんだり
車が入れないようなほそーい山道を当ても無く歩いて見たり
するけどなぁ。それはさておき。

丁度、FMながおかで山古志の闘牛(角突き)を生中継(!)
していたので、それを聴きながらのドライブとなった。
勢子(せこ)の牛を励ます「よした〜よした〜」の声も
声のいい勢子だと
ぃよしたぁ〜♪
と非常に響く、ノビのある声で聴いていて気持ちよかった。

「よした〜」は長岡弁で「よくやった」と言うような意味である。
牛に対して「いいぞいいぞ」と励ますのである。そして山古志の
闘牛の最たる特徴は勝負をつけないと言うことである。
牛は山古志の人々にとっては家族である。ケガをする前に
牛を引き離す。だから5年前の地震の際に牛を置き去りに
全村避難しなきゃ行けなかった時の、山古志の人々の苦渋の
思いは、我々には恐らく理解できない。そのくらい山古志の
人々は大事にしているのである。

今度は来月の3日に山古志闘牛場で角突きが行われる。
休みだったら行ってみたい。
20:37  |  未分類  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2009.10.10 (Sat)

父の叫びは波の音

♪怒り〜のライドル引き抜〜いて
Xライダー今日も行く〜
仮面ライダーX!X!えっくす〜〜〜!!


で、まぁそれはさておき。

この三連休は昨日から始まった。
仕事先の設備点検の関係で金曜日と来週月曜日が入れ替えに
なったのだが、久々の平日の休みである。
午前中、立ち上げ中のサイトをいぢり午後からはお気に入りの
70年代80年代のナンバーを放り込んだCDをカーステにいれて
これもまた久々の一人放浪ドライブである。

台風一過の日本海はきっといい感じで荒れているに
違いないと思い出雲崎へ向かう。CDの中にはSASもスピッツ
も入っているのだが、出雲崎の石井町の坂を降りて
日本海が眼前に広がる瞬間に曲はSASの「勝手にシンドバッド」
になり、海沿いを走っていると曲はスピッツの「青い車」になった。
CDはランダム再生である。偶然なのだが嬉しかった♪
さすがにその後にZARDの「ハイヒール脱ぎ捨てて」になることは
なかった。この大荒れの海だってのにイカレたサーファー連中が
何人か波間に漂っていた。

今日は一日立ち上げ中のサイトの構築(大げさ)作業に集中した。
サーバーにUPしたが、担当さんの審査を待つばかりである。
台風一過の晴天を期待していたが、どこかに出かけるには
雨模様、それに寒い!台風が秋を駆け足にしたようである。
23:51  |  未分類  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)

2009.10.10 (Sat)

支援助成金…について

以前、災害は「その後」の生活再建のほうが大変であると書いた。

で、タイトルの支援助成金(以下支援金)というのは、被災者生活再建支援法に
よって国や都道府県(以下県)から支給されるお金である。
台風や地震などの自然災害に適応されるのだが、家屋が全壊
したか、大規模半壊なのか半壊なのかで支給額は変わる。
また、大規模半壊や半壊の際は更に住宅応急修理費用が
全額ではないが国や県から支給される。これはいわゆる
「仮設住宅」に入った場合には支給されない。

な〜んだ、ちゃんと公的な援助があるじゃん。と思われた方も
いらっしゃると思うが、公的機関はそんなに甘くない。
なぜなら国からの支援金には使い道に制限が付いているからだ。

まず1つ目は生活経費として。生活に欠かせない家電品(冷蔵庫とか)
の修理、購入や治療費、引越し費用、交通費、寒冷地などの暖房器具
学生服などの費用である。
2つ目は被災住宅の解体・撤去・整地費用として。つまり家が全壊
したら更地に戻すまでの費用しか、国は認めていない。
3つ目は居住費用として。公営以外の賃貸住宅や一時的に住む場所の
家賃や使用料。新しい家を建てたり、購入するための借り入れ利息や
債務保証料と必要手数料。
あくまでも本体の「自分の家」はテメェの金でという事なのである。


しかも世帯主の年齢や世帯の合計年収(我が家で言えば私と
ヨメさんの年収の合計)で制限が掛かるので、ほとんど国からの
支援金はもらえない。県からほんのちょっともらえる程度だろう。
中越地震の場合、一番もらえる条件で国と県からの合計で
400万円。同じ程度の家を再建するのに何千万円も掛かると
したら何百万円でも微々たるものであることがわかる。

支援金とはいえ、元はといえば「税金」なのだから支給に関して
慎重にならざるを得ないのはわかる。だけど、なぜその支給基準
が「所得」ではなく「年収」なのだろう。憲法では国民は
健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
と謳われているが
「被災前の生活」−「健康で文化的な最低限度の生活」の解は?
あまりにも穿った見方過ぎるが、私は山古志なんかは
その辺りをカモフラージュするためのプロパガンダに
利用されているんじゃないかと思うこともある。
もちろん、山古志の皆さんは帰村した人、そうでない人
それぞれにご苦労されている。誰も無傷ではないのである。
それはさておき…。

要するに国や県など行政からの支援を当てにしていては
ダメでやはり「自助努力」が必要だと言うことなのである。
我が家も考えなくてはいけない。
だって、近くの活断層は中越地震でも中越沖地震でも
動かなかった。次に大きいのがくれば間違いなく全壊だろう。
そして「その時」は来ないかもしれないし、来るかもしれない。

***参考文献***
落合美恵子 著
「中越地震に学ぶ防災自助努力」
文芸社
22:23  |  防災・防火  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2009.10.04 (Sun)

撮っておくべきものはとっておく。

5年前の中越地震直後の様子を撮影した動画を
YouTubeで見つけた。
直後と言っても1〜10日ほど経った昼間の映像である。天気からして
翌日の10/24〜27くらいに撮影されたものではないだろうか?
そして、悠久山付近の様子が映されているので、恐らく同じ
地区に住んでいらっしゃる方が撮影されたのだろう。
山古志の牛の避難映像は11月に入ってからの映像と思われる。



映像の中に池の沿道が滑落した映像が出てくるが
わが地区では蒼柴神社の鳥居や北参道の山門、舞殿の倒壊
と並ぶ、印象的な地震被害の映像だろう。
震度6弱でこうなると言うことを知って頂きたい。
21:37  |  防災・防火  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2009.10.04 (Sun)

何時に帰ってきたか、実は覚えていません。

だてがんによく歩いて帰ってきたと思う。それはさておき。

昨日は米百俵まつりだった。午前中は雨が時折強く降る天気
だったが、お昼を過ぎた辺りから日も差し始め、渡御開始の
時間には、青空が広がった。

やはり私の日頃の行いは
間違っていなかった。

ま、それもさておき。

米百俵1

米百俵2

米百俵3

今年最後の「担ぎ納め」となるので、皆で思う存分
肩を入れたり、はやしあったりと楽しい渡御だった。
この「米百俵まつり」は時代行列がメインで神輿が出る必然性は
全く無いのだが、そんな事我々はどーだっていいワケで
担ぎ手のまつり、”今年一年皆お疲れさん”まつりのような
気がするのである。夏の長岡まつりとは別の、何と言おうか
「たまらなくフリー感」が楽しい。

今年は25日にイベントで肩を入れる機会があるが
あくまでもイベント内のパレードなので、やはりこの日が
最後になるのだろう。来春の悠久山桜まつりが楽しみである。
21:21  |  未分類  |  トラックバック(0)  |  コメント(4)

2009.10.02 (Fri)

秋には八神純子もいいんですってば。

というわけでいつぞやツタヤで借りてきた八神純子のベスト盤
を聴きながら書いているのだが、なぜに秋になると聴きたく
なるのか?そりは昔、NHKで八神純子の特集をやったのが
この時期で、確かエアチェックしてテープがふにゃふにゃに
なるまで聴きまくっていたからである。
それは以前にここでも記した、レインボーやフリーについても
同じだし、夏にバンヘイレンやホワイトライオン(ってマニアしか
知らねぇだろうなぁ)を聴きたくなるのも同じ理由からである。

こんな感じで私の脳内カレンダーは季節によって「テーマ曲
みたいな」モノが決まっているのである。7月に入ると脳内BGM
のスイッチが「大花火音頭」にパツンっと変わるのもそのためである。

あ〜いいねぇ。「Mr.ブルー〜私の地球〜」ですよ。

♪故郷を聞かれたら 迷わず「地球」と答えるの。

   「争い」という文字が 辞書から消え去るその日まで


ぐっと来るでしょう〜。(涙)

23:52  |  未分類  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2009.10.02 (Fri)

大変で急ぐ時ほど文殊の知恵。

日本全国どこでもそうなのだろうか?
地震や災害が起きると決まって詐欺まがいの話が出てくる。
例えば5年前の地震の時はボランティアと称して作業をして
高額な作業費を請求したり、自衛隊をかたって家族の救出
費用を電話で請求したり。「火事場泥棒」ならぬ「火事場詐欺師」
が横行するのである。

私が消防団員の仕事(交通整理)をしていた時も、避難所から
荷物を抱えた人がぞろぞろ出てきたので、どうしたの?と聞くと
「明日から授業が始まるから、教室で寝泊りしている人は
隣の小学校へ行けと言われた。」という返事。
地震発生から3日後くらいの話である。もちろん授業なぞ
再開できる状況ではない。デマである。

こういう状況だからこそ、コミニティの最小単位である町内会
や、その集まりである連合町内会はしっかりとピンとした
ラインをつくり、地域担当の役所の担当者や市議の方々との
連携が必要である。物資が十分行き渡るようになり、ライフライン
もボチボチ復活して状況が落ち着くまでは、三者協議の
トップダウンで臨まなければならないのではないかと思う。
各人がバラバラに炊き出ししたり、物資を割り振っていては
長期は持ちこたえられまいと思う。まして状況もわきまえず
石を積み上げたカマドで炊き出しなどもってのほかで
炊き出し中に余震でカマドが崩れ、鍋がひっくり返って
大やけどという事になる。
「炊き出し」は非常時の訓練での必須項目とは言えない。
まして被災後の避難は「キャンプ」ではない。

話がそれた。
「こういう詐欺の報告があった。」「空き巣の連絡があった。」
その広報なんて消防団に是非任せて頂きたい。夜だって
鐘を鳴らさず赤色灯を回して巡回するだけでも効果はある
と聞いたことがある。

ちなみに、長岡のケーブルTV局は対策本部で行われている
対策会議を毎日中継していた。電気が復旧して避難所から
帰宅した時に見たが、被災した市民にとって市のトップが
色々と実際に指示を出したり、時に担当者を叱責したりしている
時もあったが、「TOPがちゃんと動いていてくれている。」という
事がどれほど安心し、頼もしく思えただろう。
コミニティが小さい割りに、人数が多い町内や地区では
是非こういったネットワークを作って頂きたいと願うのである。
22:14  |  防災・防火  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2009.10.01 (Thu)

大事なのは大変なのは「その後」。

10月になった。
5年前の10月23日以来、やはり我々長岡に住まう者にとって
忘れることの出来ない月である。
くしくも海外ではサモアやスマトラで大地震が発生したが
M8.0なんて、M6.8を経験した我々でさえ想像が出来ない。

心情的に、こうも他所で大きな地震が立て続けに発生すると
「次は…」と思ってしまう。無論、遠い南方の地で発生した
地震が即、日本に大地震をもたらすというわけでは無い
らしい。だが、このブログで何回も書いているが、「その時」
に対する備えはしておかなければならない。

じゃあ具体的に何を備えておくべきなのか?
TVの防災番組や雑誌の防災特集では何かと「防災グッズ」
の事がクローズアップされがちである。確かに災害発生直後
のことだけ考えれば、防災グッズは便利だろう。
被災地が長岡のような中山間地か、東京のような都市部かで
一概には言えないが、物資は3日もすれば届くのでは
ないだろうか。ヘリでの空輸など手段はあるのである。

私が声を大にして言いたいのは「その後」なのである。

と言うのも、いつまでも避難生活を送るわけには行かない
わけで、いつかは生活を被災以前に戻さなければならない。
TVや雑誌で取り上げられないのは、まさしくこの部分では
ないだろうか。つまり、防災グッズだけで済むのは
「自分の家が何も被害を受けなかった」場合のみだけ
なのである。
自分の家がまさか全壊するなんて普通は考えない。
しかし、その年の春に新築したばかりの家が地震で
全壊してしまい、全壊した家とその後に再建した
家の二重のローンを背負うという泣くには切なすぎる話も
聴いたりするのである。

被災後の生活基盤を復興させる保険なり、貯えなりを
是非頭に入れて頂きたいのである。避難所での生活は楽な
モノでないことは言う間も無い。他人の自分勝手な部分ばかり
が見えてくるのが何よりも我が家のメンバーは辛かった。
ヨメさんや婆さまにはそれが耐えられなかった。それは私も
同じなのだが、そんなの自宅が地盤ごと全壊して新たな土地を
探して移住を強いられることに比べれば何てことは無いのである。

山古志では未だに土砂崩れで埋まった家がそのままに
されている。埋まっているのは家だけではない。
その家の2004年10月23日までの家族の団欒の記憶も
埋まっている。切ない話だが事実である。
23:50  |  防災・防火  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)
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